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●越前和紙●
紙の神さまを祀る・和紙の聖地・越前市五箇地区
 

和紙祭り、お札のふるさと。 越前和紙の記録 

越前和紙の記録文献  百万塔陀羅尼 紫式部も住んでいた

日本で唯一、紙の神様を祀る・・・岡太神社とは?毎年5月3.4.5日は和紙の神様のお祭です

伝統工芸士は総勢29名。 滞在型紙漉き工房&宿泊施設完成!。 不老の水を飲んで、200歳まで生きよう!

注目!正しい旅行企画書の書き方(笑)
越前和紙の里へ行くための方法について・・・東京編


天高く・・・秋晴れの日に岡太神社を歩く・・・

 

『鳴きたつる蝉にまじりて草たたく、音きかするや紙すきの小屋』
歌人・橘曙覧が詠んだ日本一の品質と生産量を誇る和紙の里

【越前和紙の記録】

越前和紙が記録に現れるのは正倉院に残されている天平2年(730)の戸籍(越前国大税帳断簡)です。
その中に「雁皮(がんぴ)を主とした溜め漉き。実に見事な紙で、技術の著しい進歩が見られる」とあります。
当時は中国から伝来した技法に習い、溜め漉き技法で紙を漉いていた事実を伺い知る事ができます。
後に改良を重ね流し漉きの技法を確立することになるのですが、既に奈良時代において越前和紙の技量が
卓越していたことが解ります。
(参考まで斐紙・雁皮紙。天平9年(737)、正倉院文書『写経勘紙解』に「越経紙」。天平19年(747)正倉院文書『能登忍人解』に「斐紙四百六十七帳」とある)

平安時代、女性は流し漉きの薄手の雁皮(がんぴ)紙を愛好した(仮名書きの発展)、一方男性は厚く肥えた楮の檀紙を愛用した。
「いといたうなよびたる薄様に、いと美しげに書き給えり」「いと香ばしう艶なる…」(源氏物語)
「薄様色紙は白き、紫、赤き…」(枕草子)

後に武家社会の公文書用紙として楮(こうぞ)を原料とする「奉書(ほうしょ)」が越前産地を代表する紙の一つとなり、越前和紙は織田・豊臣・さらに徳川幕府においても厚く庇護を受けることとなります。

一方、鎌倉時代、武家社会にあって、特に公家の男性が重用した厚手の雁皮(がんぴ)紙を「鳥の子」と呼ばれました。
(嘉暦3年(1329)『雑事記(ぞうじき)』に「鳥の子色紙」。延文元年(1356)『愚管記』に「料紙鳥の子」。文安元年(1444)『下学集(かがくしゅう)』に「紙色、鳥の卵の如し、故に鳥の子といふなり」)


現在の紙幣に使われている黒透かしの技法は越前和紙の技術の粋であります。
横山大観は越前和紙をこよなく愛した画家で、大観の不朽の名作「明暗」は3間(5.4メーター)
四方の一枚漉きの大紙の越前和紙に描かれました。

「擁州府志(ようしゅうふし)」1684年(貞享元年)を撰した黒川(玄逸)道裕は「およそ、加賀奉書、越前鳥の子を以て紙の最となす」「鳥の子は、その紙の色、鶏卵に似たり。故に鳥の子と称す。越前の産、宜しとす」と、称えています。

日本初の図鑑とも言われる「倭漢三才図会」(1712出版・著者は寺島良安)にも『奉書紙、越前府中より産するものを上とす』『越前府中より出る鳥の子、紙肌柔らかにして書きやすく性堅くして久しきに耐え、紙王と請うべきや』つまり「越前鳥の子紙が、紙の王にふさわしい紙」とあります。

江戸時代後期(1751年)発行された「日本山海名物図絵」には「越前奉書紙」について特別項目が設けられ、「奉書全国より出れども越前に及ぶ物なし。越前奉書其れ品多し。大廣、御前廣、本政、間政、上判、真草、半草、コゾ、外口、大鷹、中たか、小引、つやなし、雲紙、尺長、間にあい、鳥の子、薄よう、中よう、何れも紙の性よくつや在てつよし。」

和紙の里は不老(おいず)・大滝・岩本・新在家・定友の五村で構成され、佐藤信淵(のぶひろ)1769-1850
の「経済要録」(1827年文政10年成立)に「此五箇村を以て日本第一とす」と表現されています。
「皇国の紙は世界第一の上品なり」
「先ず高名なるは、越前の檀紙、大鷹、中鷹、小鷹、檀縮(だんちぢみ)、五色縮、、大廣奉前廣奉書、大中小の奉書、五色の奉書、紋奉書、墨流、杉原紙、鳥子、間似合、尺永、厚物、小杉、小半紙、半切等、およそ貴重なる紙を出すは、越前国岩本、大瀧、定友、不老、新在家の五箇村を以て日本第一とす。」

日本一の紙の里です。

【海を渡った越前和紙】レンブラント編

天文18年(1549)、イエズス会の宣教師ザビエルが来日したのに続いて、多くのキリシタン宣教師たちが渡来し、布教を行った。

宣教師たちは、筆記用にもっぱら雁皮(がんぴ)系の紙を愛用した。雁皮紙、どりわけ鳥の子は、光沢があり、紙面が平滑で紙質も適度に硬く、ペンの走りもよい。そして、西洋のパーチメント(羊皮紙)に似た感触があるので、宣教師たちは好んで雁皮紙に書き、キリシタン版の印刷にも用いた。

『日葡辞書』に記載された和紙15のうち7が雁皮系の紙
アツヨウ(厚様)、ウスヨウ(薄様)、ウチクモリ(内曇)、ガンピ(雁皮)、シュゼンジ(修善寺)、トリノコ(鳥の子)、マニアイ(間似合)

慶長14年(1609)オランダは平戸に商館を設立し、日本との交易をはじめる。オランダ商館会計簿に鳥の子とある。
『レンブラント』が入手した和紙は、彼が1640年代後半から和紙を使い始めていることから、1643年〜1645年頃に、長崎出島のオランダ商館から、東インド会社の手で輸出されたものと、思われる。

雁皮は中国や朝鮮では用いられていない、日本独特の製紙原料で、その繊維はこまやかで美しく、光沢があって、しかも強かったので、古代から最高の紙とされた。

「雁皮紙の魅力」
・象牙色の生成りの地色。絹のような光沢のある艶やかな紙肌、どこか温かみがある風合い。
・版画を施すと、インクの乗りが良く、にじみが少なく、深い黒の階調を生み出し、雰囲気に満ちた繊細で細かい刷り上がりとなる。
(西洋の紙に版画を施すと、明暗のコントラストが鮮明で、鋭角的な刷り上がりとなる。表現の幅で、雁皮紙の方が格段に優れていると言える)

石川満夫(元越前和紙を愛する会長)敦賀短大公開講座(20120324)資料より・杉原編

【越前和紙の起源】

越前和紙の起源は、太古の女神伝説から始まります。
日本で唯一の紙の神様「川上御前」を祀る行事は、
1,500年を経た今日もなお、連綿と受け継がれています。
生産量でもバリエーションの幅広さでも日本一を誇る越前和紙の技は、
今日もなお多くの腕利きの職人たちによって受け継がれ、
また次代を背負う若者へと、長い歴史を越えて今日もなお継承され続けております。


【川上御前(紙祖神伝説】

「この村里は谷間にあって田畑がすくなく、生計をたてることがむずかしいが、清らかな水に恵まれているので、
紙を漉けばよいであろう」とみずから上衣を脱いで竿頭にかけ、紙漉きの業をねんごろに教えた・・・と
語り継がれてています。
詳しくはこちら…

 

紙は神に通じるお話

【祈りの紙】

「日本の土地に古くから住み着いていた古代人は、早くから人間を超越した威力を持つ『神』の存在を考えて信仰心を抱いていた。

楮(こうぞ)の皮の繊維は、その昔は「木綿(ゆふ)」(由布)と呼ばれ、樹皮を水中で腐らせたり、または木灰や石灰の溶液で煮たりした後、川で晒して精製した。
ユフのユは斎(ゆ)と同根で清浄、神聖の意味で、フは布(ふ)であるという。木綿(ゆふ)で織った布を栲(たえ)といい、漂白した物を白妙と称した。

束ねた木綿(ゆふ)を神前で振ると、神霊を呼び寄せ、人の魂に活力を与えるとし、また榊などの小枝に付けて巫女が持つと、神霊が乗り移り託宣(たくせん)を与えると信じた。また、竹に付けて斎串(いぐし)にして立てたり、しめ縄に垂(しで)として飾り、神聖な領域を示す結界を表した。神を知らない昔から、日本人は植物繊維を取り出す技術を知り、その美しさを知っていた。

おそらく古墳時代の頃と思われるが、日本人が初めて「紙」を目にして、それが、木綿(ゆふ)と同じ物からできていると知った時の驚きは非常なものであったに違いない。
それゆえ、木綿(ゆふ)の最も純化された理想的な「幣(ぬさ)」として、神に捧げた。
…「このたびは幣もとりあえず手向け山紅葉の錦神のまにまに(古今和歌集)」

「万葉集」に紙漉きに関連する歌が全く見当たらないのも、製紙の普及にはさらに年月の経過を待たねばならなかったことを物語る。
飛鳥時代も終わるころ、製紙術は向上し、地方各地へも普及するに及んで、宮廷の儀式は全国で模倣され、津々浦々の神社が神の幣帛(へいはく)で飾られる様になった。御幣(ごへい)は 幣帛を尊んでいう言葉である。

紙の美は、自然への敬虔な祈りから生まれた。中国から渡来した「紙(シ)」を日本で「カミ」と呼ぶのが、神(かみ)との因縁を感じさせるものであることは、既に江戸時代の学者が指摘していることである。その当否については、さまざまな語源学的議論があるにしても、感情的には納得してしまう。

町田誠之「和紙つれづれ草」杉原編

 

【百万塔陀羅尼】


百万塔陀羅尼とは…天平宝字8年(764年)、恵美押勝の乱が平定され、称徳天皇(孝謙上皇)は三宝加護の
仏恩に感謝し、勅願を発して、陀羅尼経を納めた木製の小塔百万基をつくらせた。6年あまりの歳月を費やして、
宝亀元年(770年)に完成し、大安・元興・興福・薬師・東大・西大・法隆・四天王寺・崇福寺・弘福の十大寺に
10万基ずつ分納された。現在では法隆寺関係のものだけが、現存する。
この小塔は轆轤(ろくろ)を用いてつくり、高さ19.5センチメートル、露盤径10.5センチメートル。露盤に深さ約9
センチメートルの円孔をうがち、その中には「無垢浄光大陀羅尼経」の中に説かれた、「根本」「相輪」「自心印」
「六度」の4経が、幅5.4センチメートル、長さ25〜27センチメートルの紙に印刷し巻いて収納してある。
この陀羅尼の印刷は、銅版説と木版説とがあり、最近は木版説が強く、紙は麻紙あるいは、楮(こうぞ)紙と
言われているが、害虫を防ぐために黄蘗(きはだ)の汁で染めており、現存する世界最古の印刷物と言われている。
これはまた、手漉き和紙の生命力の強さを証明する貴重な文化遺産でもある。
このたび、この文化遺産「法隆寺百万塔陀羅尼」が、越前和紙の里紙の文化博物館に寄託されることになりました。



2009年11月8日に「寄託式」が行なわれました。
10時30分より、奉納式、紙祖神「岡太神社・大滝神社」にて
12時45分より、寄託式、紙の文化博物館、0778-42-0016


毎年、5月3.4.5日は和紙のお祭り!

日本で唯一の和紙のお祭りの詳細はこちら・・・

ぜんまい桜は、サライにも載る有名な桜なんです。

越前和紙って、一万円札の生みの親?
越前和紙はお札の「ふるさと」なんです。

和紙のウエディングドレス

桂由美コレクション2003


 


紫式部も住んでいました。

紫式部のお父さんは、越前国の国司としてここ越前市に赴任しまた。そのとき、若い紫式部もこの地にやってきました。

当時、紫式部が詠んだと言われている、歌です…

『ここにかく 日野の杉むら 埋めむ雪
おしほの松に けふやまかへる 』


著名人の言葉

平山郁夫
平山氏になぜ越前の紙を選ばれたのかをお尋ねすると、耐久性については無論だが、
越前の紙には息づかいが感じられる、とまるで紙が生きているように言われた。
また複雑な繊維のからみ合いにより、絵の具がにじんだりかすれたりして、微妙な
効果が出る。それは到底パルプの機械漉きの洋紙に求められぬ効果であるとも・・・
(津村節子の小説「花がたみ」のあとがきより。)

千住博


 

越前和紙の里に行こう

企画書はこんな感じ??(東京からのアクセス)
団体旅行編?安くあげるには??

.........

まず、旅費ですが・・・
通常個人でいらっしゃる場合はJR武生駅もしくはJR鯖江駅からタクシーで15分程度で和紙の里に到着です。

団体で安く上げるには・・・
JRに問い合わせたところ、(ちょっと古い記事ですので、現在の価格はお調べください)
東京と米原の片道乗車券が7140円、新幹線特急券が4920円
その往復ですのでこれで24120円

米原からバスをチャーターしていただき・・・
越前和紙の里まで1時間程度です。

それで、宿泊は・・・
個人なら、ここいまだて町に「寿屋」0778-42-0022という旅館がございます。
もしくは、武生駅前の武生パレスホテル 0778-23-8100・鯖江駅前のアルファーワン0778-53-0707など
駅からちょっと離れますが、車ですと鯖江シティホテルもおすすめです。0778-53-1122

団体ですと・・・
隣村・・・さらに山奥に
コムニタ0778-44-7744というちょっと変わった施設がございます。
農業と生活をテーマとしてつくった民間の個人出資による建物ですが
建物自体は新しく、一面畑の中に立っています。
そのなかで、自前で野菜を育てています。そして生活しています。
朝起きると一面畑です。
一泊朝食付きで6300円とのこと。
(もしかしたら、何か農作業の体験なども希望によってできます)
それで限度額一杯ですね。

山奥にバンガロー式の町の施設があります。
ヤツスギ0778-42-3800といいますが、
ここが、一泊二食付きで4600円〜とのこと。(2005年3月現在)
火曜日・第三日曜日は休館・その他民間施設ではないので・・・
ねまき、洗面具、パスタオル等々は持参が必要です。
ものすごい山奥で、綺麗な星空を観るなら最高です。
但し交通機関は無いので、マイカーもしくはバスチャーターでないと難しい。
http://www.town.imadate.fukui.jp

・・・どこを観るか・・・何処で飲むか・・・
和紙の里のど真ん中に造り酒屋が一軒ありまして
酒蔵の二階がホールになっていす、そこで飲み会をすれば、
酒は死ぬほどあります。(笑)
場所代は無料です。
まさに和紙の里の地酒を飲みながら、
紙漉きの職人などを交えた、飲み会も一興かと存じます。
見るべき建造物としては

岡本神社・・・
和紙の神様「川上御前」を祭る、日本で唯一の紙祖伝説をもつ神社、この神様は
大蔵省にも祭られています。
明治初期に紙漉きを・・・透かしの技法を越前から明治政府に教えに行った経緯
があります。
この神社自体も重要文化財になっています。
また毎年5月に行われる、全国唯一の紙のお祭り(毎年五月の3・4・5・日開催)
自体が文化財に指定されました。

紙漉きの里の施設・・・
紙漉き体験コーナーや、1500年の歴史を物語る資料館などがあり
そのなかにウダツの工芸館なる、古い民家を移築した建物があります。
もちろんそのなかも見学可能ですし、そのなかで、実際に伝統工芸師が紙漉きを
行っています、

杉原商店・・・杉原家
私どももの会社自体歴史が古く、私は10代目(の予定)です。
私どもの自宅の敷地内に会社がごさいますが
敷地の中には蔵が3つ有りましてその一つが会社の事務所になっています。
また、自宅は大正時代に立てられたものでして、私のヒイヒイおじいさんが建て
ました。
建築に携わる方々は、玄関や、廊下や床の間や、柱や・・・いろいろなところを
ご覧になって
信じられない・・・とおっしゃって帰ります。
また自宅の山には神社もございます。

また、是非お逢い戴きたい和紙の職人としては
人間国宝・・・岩野市兵衛さんとおっしゃいます。
浮世絵、木版画に使われる楮100パーセントの和紙を漉いています、お父さん
も人間国宝で親子で人間国宝です。
先代の紙は、ピカソが版画用紙として使ったことでも有名です。
この紙は、一昨年新築した衆議院議長公舎の壁面に貼られています。
また、桂離宮の有名な市松襖は、この紙です。

芸大学長、平山郁夫さんのお使いになる紙・・・
薬師寺に奉納された巨大な手漉き和紙・・・約3メーター×4メーターの
大きな大きな手漉き和紙を作る、日本一大きな手漉き工場もご覧に入ることを計画しています。

アイペック21で提案した、オーダーメイド和紙を作る工房群も
時間の許す限りたくさんご覧にいれます。
また、1900年にパリ万博で金賞を受賞し、1919年ベルサイユ条約(第一次世界
大戦後のパリ講和条約)調印に使用された
「光沢紙」と呼ぶ用紙を作成した工房など、様々な技法を持ち味とした、多くの職人たちが
山間の小さな村にひしめいています 。
お時間の許す限り、和紙の里をご堪能ください。

以上


伝統工芸士は総勢29名おります。
伝統工芸師とは、伝産法に基づいて(財)伝統的工芸品産業振興協会が認定する国家資格です。
越前は日本最大の手漉き和紙の産地なのです。

梅田文子 梅田

小判漉き模様紙

岩野市兵衛 岩野

人間国宝

福田忠雄 福田 福井県指定無形文化財
玉村久 玉久 襖紙
山口和夫 山口 小判漉き
長田榮子 長田 大判装飾
山口絹子 山口 小判漉き
山口年子 山喜 小判漉き
二三四長次 二三四

小判漉き

山田利幸 山久 小判漉き

山口麗子

山口 小判美術和紙
山下フサエ 山次 小判漉き
五十嵐美佐子 五十嵐 大判装飾
柳瀬徹二

柳瀬

美術小間紙
山下善久 山次 美術小間紙
山口美代子 山喜 美術小間紙
姉川民枝 やなせ 大判流し漉き
吉田カズ子 山次 美術小間紙
山口荘八 山口 奉書漉き
山川富数 山川 美術小間紙
山下さなえ 岩野平 襖紙
玉村秋子 岩野平 襖紙
沖桂司

MO紙
佐々木康夫 佐々木 小判漉き
柳瀬晴夫 やなせ 大判流し漉き
山田ひとみ    
柳瀬ヒロ子    
柳瀬藤志子 やなせ  
石川和伸 石川  

 


●紙漉きを学ぶ若者に朗報!●

ついに滞在型の紙漉き工房が完成しました。
大都市の熱意ある若者が、今立に長期滞在して作品づくりに取り組む拠点として活用・・・

 

福井新聞20050326

完成式は2005年3月31日

●宿泊施設「越前長屋」●
木造二階建て二棟で合計8部屋
入居対象は、県外からの和紙を学びに来た人。

●紙漉き施設「越前てわざ工房」●
土間で紙漉きができる工房室と、
漉いた紙で作品を作る制作室、会議室を備える。


越前和紙の里の風景・・・2003.0228

写真のほぼ中央・・・山裾の麓あたりに杉原商店がございます。



20040827.28

 

 


●今立(いまだて)の名の由来●

『平安時代の初期823年に当時北陸有数の巨大都市であった丹生郡が
とても範囲が広く統治や測量が大変であったため、ほぼ日野川の東西を
境にに2分割するととなり、新たに【今立郡・いまだてぐん】ができた』

事実今立町内には多くの前方後円墳が発見されています。
大滝の虚空蔵菩薩像は平安時代初めに作られたものです。

・・・20041202青木豊昭・福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館館長の講演より ・・・


●不老の水を飲んで、200歳まで生きよう!●

杉原くんの住所は不老って変わってるね・・・
実はこんな由来があるのでした・・・

その昔、自然の皇子(じねんのおうじ)という人が、現在の不老神社の麓
から湧き出る泉に感動して住み着いた。それを村人が見つけて
あなたはどうしてそんなに若々しくて元気なのですか?と問うた。
すると、「自分は、この池の水にに感動して住んでいるのだ。」
この水を飲んで、199歳まで生きたという伝説がございまして。
いつしかこの水を不老の水。この里を不老(おいず)と呼ぶようになったと
聞き及んでいます。

 

・・・さらに、詳しい記載・・・
不老神社縁起
祭神・伊邪那美尊(いざなみのみこと)
合祀・天照大神、大国主神、事代主神、稲倉魂神(うがのみたまのかみ)
由緒
創立年月など不詳なるも、その歴史は境内に湧き出る泉地、自然居士池
(じねんこじいけ)・写経水の霊水と共にあり。
昔、長石媛(おさのいわのひめ)の弟、自然皇子(じねんのおうじ)と称す。
この地に永住し、長寿199才にて死去せり。
されど、容貌端麗にして少壮の如し、是れによりて不老の皇子とも云い
後に崇祀す。
長寿に霊験あらたかなり。この郷に自然皇子の食水の霊水あり。
毎年7月19日群衆参拝し、こき水を飲む。
薬用に用うるに効用あり、故に「自然の皇子池」(じねんのおうじいけ)と
称す。
若し猥りに、この水を用うる者は神罰あり。貧困短命に陥ると云う。
不老の宮、皇子の池を守護するものは、清水稚家という。
皇子の後裔が伝称すと云う。

 

・・・さらに時代は下って・・・
和銅年間(元明天皇、西暦710年頃)
近くの仙源山(正円寺山の後山)に、一つの横穴洞窟ありて(昭和59年
10月、正円寺裏山工事の折り、約1,300年前の横穴(おうけつ)古墳、
6基ほど、発見される)童子仙人居住し、泉水(自然居士池)を飲みて
曰く「この水を常に飲料水とせば、老寄ることなし。即ち、不老、
不老(おいず)」と云い、
   「くみてのむ いけによわいのふるさとは
           げにありがたき なにてありけり」
と詠み、年寄らざりけり。やがて、戸数7.8戸のこの里を、
誰ということ無く、「不老の里」(おいずのさと)と呼ぶに至れり。
この泉水、清浄にして、水量年中増減無く湧水す。
命日の旧暦7月15日に、この水を飲めば必ず長寿すと云う。

 

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