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●コンニャク糊について●
丸谷さまが、色々なコンニャク情報をまとめて戴けました。
(・・・様々なネット情報より抜粋です。)

「こんにゃく物語」               2002.7. 27丸谷博男

 コンニャク糊のことを調べていたら、本当に面白いことが沢山解りました。
 和紙を貼り合わせ、強化し、防水するためにコンニャクが塗られ、小千谷縮
の糸加工にもコンニャクが使われているのです。この小千谷縮みは織り上げた
後、雪の中に埋めて「雪ざらし」をしているのです。和紙や布がこれほどまで
に近しい話題があるとはとても驚きです。
今では嘘のような話しですが、太平洋戦争末期に日本がアメリカに向けて「コ
ンニャク爆弾」をジェット気流に乗せて送っていたことも思い出されます。こ
れも和紙をコンニャク糊で貼り合わせたものです。
さて、この間インターネットで調べたものを順不同でご紹介いたします。イン
ターネットだけでもこれだけのことが解りました。
■ コンニャクを植物として知る
・コンニャクは、学名:Amorphophalus Konjac K.Koch サトイモ科の多年草です。
・原産地はインドシナで日本には大和時代またはそれ以前に伝来してきたそうです。
・地下球茎(コンニャクイモ)にはコンニャクマンナンを多く含み、古くから
食用とされてきました。茎のようなもの(葉柄)から葉が出ているように見え
ますが、全体が葉です。葉柄は球茎から1本だけ出て、まず3本に分かれま
す。さらに2本に分かれ、一枚の葉のように見える小葉とひれ状の葉が小葉を
つなぐようについています。地上から見えるのは葉の部分だけです。葉のつけ
ねあたりから根が出ます。
・植付け直後は元の球茎の養分で地上部をつくり、元の球茎は次第に小さくし
ぼんでしまいます。やがて、その上部に新球茎がふくらんで、葉や土から養分
を吸収し、秋には元の数倍の大きさになります。新球茎の一部が太い根のよう
に伸びて、その先に生子(きご)と呼ばれる小イモを発生します。種イモとし
て、1個の大きな主球茎と数個の小さな生子が取れるわけです。
・ 現在、日本で行われている農業としてのコンニャク栽培は、
・ 初年度に、この小イモ(生子)を植え、秋に肥大したイモを掘り出し、
・ 2年度に、そのイモを植え、秋に大きくなったイモを掘り出し、
・ 3年度に、2年度を繰り返して出荷するというスタイルです。ただし、営
農条件により、2年度で出荷することもあります。それぞれの種イモは1年
生、2年生、3年生と呼ばれます。ちなみに、読み方は「イチネンセイ」なの
ですが、「小学1年生」のアクセントではなく、「1卵生」と同じ平板なアク
セントです。
・種球茎は次第に小さくなり、上部に新球茎がつきます。10月頃、自然に葉
が黄変し、枯れて倒伏します。このとき葉柄は球茎との間に離層をつくり、離
れます。そのころには新球茎は充分に肥大しています。
・」球茎の頂部には来年出てくる芽がついています。この芽が短いものが葉芽
(ようが)、長いものが花芽(はなめ)です。花芽は通常3年生以降につき、
翌年の春、花が咲きます。
・芽の種類と3世代同居
・コンニャクにはいくつもの芽があります。イモの頂上部に主芽(しゅが)と
呼ばれる芽があり、通常はこの芽だけから葉または花が出てきます。イモの表
面には他にもたくさんの小さい芽(副芽)があるのですが、主芽が動き出せば
それらの芽からは何も出ません。これを主芽優勢というのだそうです。ただ
し、主芽の生長点が損傷すると副芽から葉が出てきます。
・左は4年目の7月にイモの断面を写した画像です。旧イモの上部に新イモが
でき始め、その頂部に今年の葉があります。そして、葉柄の根元に来年の芽が
でき始めています。つまり、去年できたイモと今年肥大するイモと来年の芽が
同居しているのです。
・実生(コンニャクを種から育てた場合)
・播種から半年後に収穫した種イモ(左)です。10月に掘り上げた後、日陰
で風通しが良く、温度が5度以下にならない場所に貯蔵し、来年の5月にまた
畑に植え付けます。
・中央にある突起が葉芽(ようが)といって来年葉になる芽です。花になる芽
はもっと長く、4、5年経たないとつきません。
・小さい方が1年目、大きいほうが2年目の秋にとれたイモです。
・ コンニャクの種は7mm程度なのに4年で直径20cm、重さ2kg以上になります。
■コンニャクの歴史
原産
 インドシナ原産。現在でもアジア地域で食用とされていますが、日本のよう
に品種改良したコンニャクが農作物として栽培されているのは珍しいことで
す。
伝来
 縄文時代、植物として伝来し、薬用、食用としては大和時代に伝来したとい
う説が一般的です。
古文書
 平安時代、源順の和名類聚抄に蒟蒻(こにやく)として出てくるのが最初だ
そうです。灰汁で凝固させて食べる蜀国の珍味として紹介されています。
高級品
 鎌倉時代、玄恵の庭訓往来にコンニャクをたれみそで煮たものを糟鶏(そう
けい)と呼び、唐伝来の間食であるとありますが、庶民がおやつとして食べる
ようなものではなく、江戸時代に荒粉が発明されるまでは一部の上流階級のみ
が口にする高級品だったようです。
普及
 安土・桃山時代、肥前名護屋城の普請に従事していた石工が腹痛を起こした
際に、神様のお告げでコンニャクを食べて快癒したことから、全国に広がった
という説があります。
効能
 江戸時代中期、和漢三才絵図のなかで腹中の土砂を下ろすとあり、砂下ろし
の効能がうたわれていました。
大発明
 江戸時代後期、粉の状態で保存する方法が考案され、それまで、秋から春に
かけての約半年間しか食用にすることができなかったコンニャクが、年中食べ
られるようになりました。この発明と普及尽力によって名字麻上下着用を許さ
れたのが水戸藩の久慈郡諸沢村(現在の茨城県那珂郡山方町)の中嶋藤右衛門と
いう人です。
 これにより、遠隔地への大量輸送も可能となりました。コンニャク粉は水戸
藩の専売品となって全国に売られ藩財政におおいに貢献したということです。
流通解禁
 明治のはじめ頃、コンニャク粉は水戸藩の専売品から解禁されました。流通
が活発化し、生産・製造が本格的に分業されるようになりました。
板コンニャク
 大正時代、海藻の粉を混ぜてコンニャクをつくる方法が考案され、現在食べ
られているコンニャクの形状が定着しました。
ふ号作戦
 昭和時代、第二次世界大戦末期に風船爆弾製造用の糊としてコンニャクが全
国から集められました。旧陸軍により基地が3ヶ所設けられ、和紙をコンニャ
ク糊で張り合わせた直径約10mの風船に約200kgの焼夷弾を積んで放球さ
れました。偏西風に乗って時速200kmで飛び、太平洋を2〜3日で越えたそ
うです。
 ふ号作戦と名づけられたこの作戦で、アメリカ本土に約1000個が落ち、
6人が犠牲になったそうです。
品種改良
 戦後、農業生産に適した品種が開発され、ハルナクロ、アカギオオダマ、ミ
ョウギユタカなどが栽培されています。上毛三山を冠名しているとおり、群馬
農試で開発されました。
ヘルシーブーム
 昭和後期から平成時代、コンニャクはローカロリーで、良質の食物繊維を含
むことから、ダイエット及びガンや糖尿病、高脂血症をはじめとする生活習慣
病予防に結びつき、注目を集めています。
 直接、腹中の砂を下ろすわけではないですが、内臓の不要物排泄促進作用が
科学的にも立証され、古来伝えられてきた「砂下ろし」の効能は充分にあった
といえそうです。
■ こんにゃくの製造工程
こんにゃくの原料に、目的(板こん、糸こん等)に応じた割合の水を加え、良く
練ってから凝固剤(水酸化カルシウム、卵殻カルシウム等)を加え、これを混ぜ
合わせて整形箱に入れて固め、固まったら熱湯で灰汁抜きをします。
昔は全て手作業でしたが、現在は製造設備がととのい、殆ど自動で製造されます。
この他整形から灰汁抜き、パッケージまでを1つのラインで行う「生詰め」製
法もあります。
■こんにゃく粉の成分
項目 試験方法
水分(%) 9.0  JP一般試験法(105℃・3hr.)
蛋白質(%) 3.1  JP一般試験法(N×6.25)
脂質(%) 1.0   衛生試験法(酸分解法)
灰分(%) 4.2  JP一般試験法
粘度(1%、cps) 45000  1%水溶液・25℃×2hr.
グルコマンナン(%) 79.5   衛生試験法(酸素重量法)
亜硫酸(ppm) 300    衛生試験法(水蒸気蓋留法)
トリメチルアミン(ppm) 400  JP一般試験法
■ 下仁田産(群馬産)こんにゃく原料のメリット            
             
こんにゃく芋
表は、こんにゃく原料の成分を表わしています。
糖質と表示されているものが、多糖質のグルコマンナンであり、こんにゃくの
主原料でもあります。
純度の高い物ほど原料の価値も高くなります。
群馬産こんにゃく精粉成分分析表 平成4年 群馬県工業試験場 調べ
こんにゃく粉 Knnyaku finepowder 
Helth Food Grade 
水分 Water             6.4%
たんぱく質 Protein         2.5%
灰分 Ash              5.8%
脂質 Lipid             0.0%
糖質 Non-fibrous Carbohydrate 83.6%
繊維 Fiber  1.7%
------------------------------------------------------------------------
財団法人 日本食品分析センター 調べ
こんにゃく精粉 特等粉
分析試験項目  結果   分析方法 
水分 8.4% 常圧加熱乾燥法
たんぱく質 2.6%ケルダール法
脂質 0.2% 酸分解法
繊維 0.4% ヘンネベルグストーマン改良法
灰分 5.3%直接灰化法
糖質(マンナン質)83.1% 
(100-上記物質)
リン 192mg/100g バナドモリブデン酸吸光光度法
鉄 2.58mg/100g O-フェナントロリン吸光光度法
カルシウム60.6mg/100g過マンガン酸カリウム容量法
ナトリウム16.8mg/100g 原子吸光光度法
カリウム2.69% 原子吸光光度法
食物繊維84.3% AOAC法
重金属(Pbとして)5.5ppm 硫化ナトリウム比色法
二酸化イオウ 0.38g/kg 通気蒸留法
一般細菌数(生菌数)2.0×10^3/g 標準寒天平板培養法
大腸菌群 陰性/2.22g BGLB法
------------------------------------------------------------------------
純度の低い物のデメリットは、以下の通り。
1. たんぱく質にアルカロイドが含まれている。
2. こんにゃく臭が強い。
3. たんぱく質が変質して、製品の変質、変色が起きる。
4. 雑菌数が多い。
5. 製品の歩止りが悪い。
純度の高さは精粉検査の粘度で表わされる。
一定ののりを作るため、必要とされる原料の量を表わした ものが粘度であ
り、グルコマンナンの純粋性を表わしている。
水分量 粘度平均
6% 150  
8% 135 
10% 115 
14% 80
水分量と粘度の対比は上記の表のとおりである。精粉は、空気中の比重分離に
よって純度を上げるため、 乾燥度が純度とイコールしている。
群馬県は、精粉を作る時期である秋から冬にかけて、日本で最も空気の乾燥度
の高い地域である。
よって、群馬産の原料は他県産と比較して、水分量が少ない。
こんにゃくの加工業者も群馬に集中している。
全国で生産されているこんにゃく芋の79.3%は群馬産である。
種類は、和玉、ハルナ、アカギ、シナと、日本で作られるすべての種類を生産
している。
種類によって、精製粉に特徴があり、ブレンドすることによって、精製粉の品
質は安定している。
総括 下仁田産原料のメリット
1. 純度が高い。
2. 品質が安定している。
3. 製法に適した原料を見つけられるだけの     量と業者が下仁田に
集中している。
いかなる相場のときも、下仁田産原料が他県のものより10〜15%高値で取
り引きされることが、 下仁田産の原料の良さを証明している。
■こんにゃくの作り方
こんにゃくを作るには、次の二通りの方法があります。
1.蒟蒻の精粉から作る方法
2.こんにゃく芋から作る方法(生芋で作る・蒸した芋で作る)
1.精粉から作るには(初級者)
準備するもの:精粉30g A水酸化Ca(石灰)2g B2?入りボール1 Cコ
ップ1 D木杓子1 E3?入り鍋1
1 ボールBに水又は微温湯900ccを入れる。
その中から30cc程をコップCにとって置く。
2 ボールの水を木杓子Dでゆっくりとかき混ぜながら、その中に精粉@
を少しづつ入れていく。
ボールの渕や、木杓子に付いた糊を丁寧に掻き落としながら、混ぜ続ける。
ご注意:
粉は沈みますので最初が肝心、一笑?懸命混ぜること
糊の掻き落としは丁寧に何回も、たった30gの粉ですから貴重品です。
3 混ぜながら木杓子の後方に筋がつきだしたら終わり。こんにゃく糊に
なりました
(ここまで約20〜30分)
ご注意
少々混ぜすぎても大丈夫
4 ここから約1.5時間放置しますので、この間にお茶しましょ。
5 3?入り鍋Eに2?程のお湯を沸かしておく。
6 コップCに水酸化Ca(石灰)2gAを溶く
7 3のこんにゃく糊に6の水酸化Ca(石灰)2g溶液を入れる。
こんにゃく糊全体にムラナク混ざる様、手早く丁寧に混ぜる。
糊に艶が出てきたら終わり。
ご注意
*ここで混ぜすぎると、バラバラになりこんにゃくになりません。経験と勘が
必要です。
大体ここで失敗します。失敗したら1に戻ります。
*泡たて器は使わないこと。空気が入りすぎて食感が悪くなります。
木杓子が一番いいと思います。
8 手早く、バットやお好みの型に入れていき表面をならします。約30
分置いておきます。
ご注意
*時間が経つと、バラバラになって形になりません。急いで急いで
ヒント
*台所用ラップに取り、紐又は輪ゴムで巾着にくくる。
これを強火で30分蒸し器で蒸す。こうすると9の方法の鍋を洗わなくてもよい。
9 8を適当な大きさに切り、弱火で30分煮る
10 出来上がり
7と8の工程はこんにゃく屋でも難しい所です。何度でもトライしてみるしか
方法はありません。
お好みの硬さは、1の水を増減して下さい。増:柔らかくなる 減:硬くなる
生芋・蒸し芋から作るには(上級者)
1準備するもの:
@生芋?g A水酸化Ca(石灰)?g B??入りボール1 Cコップ1 D木杓子
1 E??入り鍋1
F生芋はおろし金、蒸芋はすりこ木Gゴム手袋
ご注意:
生芋・たわしで全体を洗う。但し土を落とすだけ、皮は残す(風味が出る)。
芽の所は包丁で抉り取る。
ここからの作業は必ずゴム手袋をすること。
蒸芋・上の生芋を適当な大きさに切り、箸が突き刺さる程度に蒸し揚げる。
鍋が汚れるので、芋の下にアルミホイルを敷いておくこと。
2準備するものの詳細の決め方
(1)生芋@の目方(g)を量ります
(2)用意する水の量の目安
(1)の目方(g)×0〜8=?cc(初回は3ぐらいから試してみて
はいかがですか)
ご注意:
芋の品質により、水の量が変わります。ここは経験と勘どころ
今回うまくできたとしても、芋が変われば、違いますよ。水の加減をしながら
何回もトライ!
お好みの硬さは、水を増減して下さい。増:柔らかくなる 減:硬くなる
(3)水酸化Ca(石灰)の決め方
(1)の目方×0.2%(千分の二)=?g
(4)ボール・鍋は適当なものを
では作りましょう

生芋はおろし金で摩り下ろす。
蒸芋はすりこ木でよく潰す。
2 用意した水からコップ半量とって置く。
3 残りの水を1に入れ、完全に溶けるまで手で混ぜる。
ご注意:
溶け方によって出来上がりの食感が違いますので、お好みを見つけて下さい。
ここで約1時間放置します。
ヒント: ここで二通りの方法があります。
冷たいままで作る。(特徴:コリコリとしたこんにゃく、難易度簡単)
加熱して作る。(特徴:グニャグニャとしたこんにゃく、難易度難しい)
混ぜながら約80度になると火から降し60度ぐらいで6の工程に移る
凝固剤がよく効きますので作りにくい方法です。
4 適当な鍋にお湯を沸かしておく。
5 2に水酸化Ca(石灰)を入れ水溶液を作る。
6 3のこんにゃく糊に5の水酸化Ca(石灰)溶液を入れる。
こんにゃく糊全体にムラナク混ざる様、手早く丁寧に混ぜる。
糊に艶が出てきたら終わり。
ご注意
ここで混ぜすぎると、バラバラになりこんにゃくになりません。経験と勘が必要です。
大体ここで失敗します。失敗したら1に戻ります。
*泡たて器は使わないこと。空気が入りすぎて食感が悪くなります。
木杓子が一番いいと思います。
7 手早く、バットやお好みの型に入れていき表面をならします。約30
分置いておきます。
ご注意
時間が経つと、バラバラになって形になりません。急いで急いで
ヒント
*台所用ラップに取り、紐又は輪ゴムで巾着にくくる。
これを強火で30分蒸し器で蒸す。こうすると8の方法の鍋を洗わなくてもよい。
8 7を適当な大きさに切り、弱火で30分煮る
9 出来上がり
1−2−(2)はこんにゃく屋でももっとも経験と勘のいる所です。
作る度に違うものが出来るのも又楽しいですね。
頑張って何度もトライして下さい。
■ 紙衣(かみこ)
 江戸時代、紙衣(かみこ)は軽くて、保温性が良いので、旅行の必需品でした。
 芭蕉も「奥の細道」に旅立ちの餞に贈られた紙衣を持参しています。和紙に
渋やこんにゃく糊を塗って、防水性と強度を持たせているので、よく揉んでい
ないとゴワゴワしてとても着られたものではありません。
 紙衣は白石紙や泉貨紙など厚手の和紙に渋やこんにゃく糊を塗り、乾かして
から、細い棒に巻き付け、上から押さえ付けて皺をつけました。
 三月の初め、奈良の東大寺のお水取りが行われます。二月堂の欄干から振り
回される松明をみると春が来たなと思います。
 このお水取り、修二会を務めるお坊さん(練行衆)は紙衣を着ています。こ
れは代々、身を清めた練行衆が別火坊で、来年の練行衆のために和紙にこんに
ゃく糊を塗り、乾かして、良く揉んで作っています。これも皺の効用です。
http://www.jfpi.or.jp/printpia/kami/story04.htm
■ 紙子と紙布
・紙子(紙衣)
楮で厚く漉き上げた腰の強い和紙の表面にこんにゃく糊などを塗って、手でよ
く揉み柔らかくして「きもの」に仕立てたもので、紙子(かみこ)または紙衣
(かみこ)ともいいます。 
糊は江戸時代にはワラビの根を使用しておりましたが、現在はこんにゃく糊を
使います。
起源8世紀半ばとされ、文献では988年に性空上人が播磨の書写山の草庵で
着ていたことが記されております。古来、僧衣として着用され、現在でも奈良
東大寺の二月堂修二会(しゅにえ)の時に白石和紙の紙子が着用されていま
す。
戦国時代の武将たちが陣羽織や道服として着用されていました。上杉神社伝来
の謙信所用の紙子陣羽織などは、雨露を防ぎ、丈夫で軽く、戦闘用の上着とし
て最高のものでした。
江戸時代には広く防寒着として利用されましたが、好事家の間には羽織に紋を
付け胴着としても着装されています。
 歌舞伎の世界でも見受けることが出来ます。廓文章(通称 吉田屋)の主人
公である藤屋伊佐衛門が遊女夕霧に忍んで会いに行く時の姿が紙子を着ていま
す。この紙子は、かつて夕霧と取り交わした手紙を張り合わせ仕立てたものな
のです。
 紙子は紙を糊と張り合わせ、その上に渋を引いたりするため、紙自体がこわ
ばりやすくなります。これを柔らかくするには、張り合わせた後、渋を引いて
から天日で乾燥させ、その後手でよく揉んで夜干しをします。翌日にはまた干
して、夕刻に取り込みまた揉みます。これを何回か繰り返して、こわばらない
ように仕上げます。江戸後期には更紗染めや小紋染めなども行われ、防寒着や
布団地に使用されていました。江戸時代には各地に紙子が作られていました
が、現在ではほとんどが廃れてしまっております。
白石紙子(宮城県)  安倍川紙子(静岡県) 華井紙子(和歌山県)
美濃紙子(岐阜県)  越前紙子(福井県)   大和紙子(奈良県) 
安芸紙子(広島県)  土佐紙子(高知県)   伊予紙子(愛媛県) 
肥後紙子(熊本県)  八女紙子(福岡県) 
・紙布
紙布は仕上がった紙を天地の方向に細かく切り、それを縒って作る紙糸で織り
ます。和紙は日本で開発された流し漉きによって天地方向に繊維の向きが揃う
ので丈夫な糸になります。 
紙布は、三椏・楮・雁皮などの繊維を漉いて和紙とし、これを千鳥状に紙の一
部を残し、細く裁断して紙縒(こより)にし、これをつなぎ合わせて織ったも
のです。
紙布の種類には、経緯(たてよこ)とも紙糸(かみいと)を使ったものを諸紙
布といい、経糸に絹を使ったものを絹紙布、経糸に木綿を使ったものは綿紙布
といいます。また、絹織物に一部紙糸の使った紙紅梅があります。
紙布を製作するには、靭皮繊維を取り、紙漉きと同じ工程で繊維を揃えるよう
にして紙を漉きます。これをまな板の上で包丁を使い細く千鳥状に裁断して、
石の上で転がすように揉んで糸上にしていきます。
1枚の紙は1本の糸になり、長いものでは120mになる場合もあります。これを
糸車または撚り糸八丁車で撚りをかけ、糸を染め機にかけて織り上げるので
す。このような生産は、原料の和紙生産と関係があるため、それぞれの和紙生
産地で副業的に行われている場合が多いのが実情です。
その中でも宮城県白石市で作られている白石和紙は、江戸時代から白石紙布と
して知られています。熱海で作られている雁皮和紙の紙布もその地の特産とな
りました。宮城県の白石和紙は伊達藩の家臣である片倉家の保護の元に、家臣
の手内職として奨励されていました。良質の和紙であることから片倉家から将
軍への献上品としても扱われました。夏の礼服から、下級武士、農民が着用す
る実用着まで幅広くに分かれ、ゆかた・夏羽織・裃・帯・蚊帳・頭巾・脚半な
ど広範囲に及んでいました。日本でも数少ない純楮生漉和紙であり、古くから
の製法で現在も漉き続けられています。国宝修理用紙にも指定され、表装用、
書画用をはじめ、各分野での耐久性の点から永久保存版印刷紙として使用され
ています。
白石紙布は紋織・ちりめん織なども生産されて、絹や綿に劣らぬ技術を持ち、
高い評価を受けております。
 各地の和紙生産と関連して生産された紙布は、白石紙布のように商品化され
たものではなく、農民の衣料として自家用消費用に作られていました。近年に
なって民芸運動がさかんになり生産性も高まり、京都の黒谷和紙のように一部
の地域で小規模に生産されるようになりました。紙布は綿織物と品質的に似て
おり、一般で考えるより耐水性に優れ、耐久性があり、染色性も良いので人気
が高まって来ました。
 米沢では大福帳の再利用として紙布が考えだされ、現在でいうリサイクルの
原点のようなものです。大福帳は商人にとっては欠かせないものであります。
もし、近所で火災が発生した場合には、大福帳を井戸に放り投げ、火災が治ま
った頃に引き上げてまた使用していたといいます。それだけ水に濡れても耐久
性があったことを証明しております。大福帳以外にも、紙のバケツなどや雨具
・和傘など、紙でありながら耐水性が優れたものが使用されていました。大福
帳の墨の黒字と印の朱字とが点々と入り混じり面白い味が出ています。
大福帳   細く裁断する
紙糸 紙布着尺  玉虫正直作
 日本の染織工芸品には今でいうリサイクル的工芸品も少なくはありません。
今回の反古紙を利用した紙布やボロ布を再利用した裂織、刺子などがありま
す。「きもの」のすばらしさは使い捨てではなく、最後まで使い切るという考
え方にもあります。これは、リサイクルが目的ではなく、貧困の為に知恵を働
かして出来たものであります。豊富な時代には知恵は生まれてきませんが、不
足な時代に多くの発想が生まれてきます。しかも、前にもまして更に強く長持
ち出来るように考え出されていることには、昔の人の知恵には敬服いたしま
す。
・肥前 名尾和紙(佐賀県重要無形文化財指定)
佐賀の地に紙漉きの技術が伝わったのは、今から300年ほど前の元禄12・1
3年の頃といわれています。農業の生産性が低い山間の地であったために、地
元の納富由助(のうとみゆすけ)という人が筑後で修行して、紙漉きの技術を
この地に伝えたとされています。
名尾の村としては紙漉きに力を入れ、名尾の名を広く高めました。原料の楮は
自家栽培で、伝統技法は昔ながらの手漉きで和紙を作り出しております。きも
の総合研究所「和の国」博多織研究室の「千年工房」ではこの名尾手漉き和紙
を使用した紙布帯を製作いたしました。これまでの紙布の技法とは異なり、博
多独自の技法との融合により、かつてなかった新しい紙布製作に挑戦していま
す。
・和紙をつくる
 名尾和紙に絹糸をブレンドして、特別な和紙を創りました。
 博多に昔から伝わる、五色献上の仁・徳・礼・信・智の五行を五色にして
和紙の中に封じ込めました。
和紙の整経
強度の弱い紙糸を経糸に使うためには、整経をする必要があります。
この整経技術は織元の技術力を見極める1つの判断材料になります。
博多の高い整経技術で、この度紙糸を経糸にすることが可能になりました。
 
五色の絹糸をブレンド 紙糸を経糸に
和紙を裂く
和紙の上に柄を載せたものを細かく均等に裂いて箔状にしました。
これにより通常の引箔とは違う風合いが楽しめます。
和紙を刷る
博多織元「千年工房」の図案家・版画作家の畠山孔仁緒氏による
絹版画の世界を名尾和紙の上に実現させました。
和紙を織る
紙糸を使用して織ることは高い技術が要求されます。
今回は伝統工芸士豊川勝典氏が担当して、更に難しいことに挑戦いたしました。
絽の変形である「うづら絽」(羅に近い織)で紙布として織ることに成功し、
高い評価を受けております。
絹版画紙布 うづら絽織紙布
http://kimono-server.com/wanokuni/kougei_002.htm
■ 気球飛行
 気球がどんどん上昇していくと、気温が下降することは皆さんご存知ですね。
ということは、気球には温度変化に耐えられるの材料が使われているわけです。
 化学産業が発達し、いまでこそ、それに適した材料は豊富にありますが、昔
は適材がなかなかありませんでした。
 第二次世界大戦中、気球に爆弾を積み、太平洋を越えて、米国を攻撃する作
戦が敢行されたとき、気球の材料として採りあげられたのが、和紙とコンニャ
ク糊。
 気球を作るには広大な空間を持つ建物が必要だったため、劇場などの文化施
設を軍事利用し、多くの女性労働に支えられて、風船爆弾は数千個作られまし
た。ひとつひとつに無線機が取り付けられ、高度を自動調整しながら、時速2
00kmで太平洋を渡ったそうです。
■「和紙ノ伝統」14
産業・工芸に活用された紙5. 磨研紙や 風船紙のこと
 磨研紙は、研磨紙とも書き、ふつうサンドペーパーとして知られ、金属や木
製品をみがくのに用いられる。 厚紙(または布)に金剛砂やガラスの粉を付
着させているので、かつて砂紙ともいい 、あるいはエメリー(金剛砂)ペー
パーとも呼ばれた。青木昆陽の明和3年(1766)刊『続昆陽漫録』には、『桂海
虞衡志』 から「渋竹の表皮は粗くて、木工が用いる砂紙のように、爪甲を磨
くことができる」と引用し、「砂紙は西土より来る紙錯り (かみやすり)と
みゆ」と記している。蘭学者である青木昆陽は、西欧でつくられているサンド
ペーパーのことを、すでに 知っていたのである。
 これを日本でつくつたのは江戸末期からで、『明治十年内国勧業博覧会出品
解説』には石川県金沢市の矢田半が出品 した磨研紙について、つぎのように
説明している。
 「慶応元年(1865)七月、亡父半右衛門ノ発明スル所トス。然レドモ当時鉄製
機械ノ類未ダ盛ンニ行ワレズ、因テ世人 モ亦用フル者少ク且ツ製法モ精良ナ
ラズ、現今ニ至リテハ必需ノ要品タルヲ以テ、明治八年五月、広ク内外国製ノ
長短ヲ参 酌シ、其製始メテ精良ニ至ルヲ得タリ。」
 金属や木製品を研磨するのに必需の品であるため、やがて各地で生産される
ようになったが、『貿易備考』には、 金沢をもっとも著名な産地としたあ
と、つぎのようにその製法にふれている。
 「金剛砂、土砂、硝子等ヲ麩鰾<ふにべ>ニ和シ、紙或ハ綿布ニ附着セシモ
ノナリ。 其 金剛砂製、土砂製ハ鉄製機械ヲ磨クノ用ニ供シ、硝子製ハ木賊
<とくさ>ニ代用スト云フ。」
 こうして工業用サンドペーパーの生産がふえたが、その 地紙はもちろん強
靭な 楮紙であった。 磨研用といえば、 典具帖紙もかつてはレンズ磨きに用
いられた。近年の珪素樹脂を特殊処理したレンズペーパーは、この典具 帖紙
から発展したものである。
 陶器の絵付けには、岐阜県産の 銅版画紙が用いられた。いまはほとんど機
械抄きの 紙になっているが、精密な絵付け の場合には手漉きの紙が用いられ
ていた。
 電気製品にはコーン紙として手漉き和紙を用いるものがあり、やわらかい音
を出すのに適していた。 また電線を巻くのもはじめは手漉き和紙であった
が、いまはほとんど機械抄きのものになっている。
 酒造業界では、かつて酒樽の 目張紙が多く使われていた。いまは酒樽も化
学合成品がふえているが、高級なものには やはり杉材でつくる伝統が根強
く、その目張紙は福岡県筑後市などでつくられている。
 洋紙のなかでも、 板紙をはじめとして包装用として使われる比率はきわめ
て高いが、手漉き和紙もかつ ては製品の包装に用いられるものが多かった。
製薬、製茶、養蚕関係のものはすでに述べたが、『 諸国紙名録』をみると、
包装や袋用として板張塵紙をはじめ 小西紙・土佐厚紙・宇田塵紙など15種が記
され、ほとんどは厚口でしかも塵入りのもので ある。太平洋戦争中には全国
の手漉き和紙業者が動員されて、信号花火とか弾薬用紙、防寒衣用紙、防水油
紙、軍隊手帳用紙 など、軍需産業に協力させられたが、なかでも風船爆弾と
もいわれた気球紙をつくったことはよく知られている。その原型は 明治期の風
船紙であるが、『貿易備考』にはこれについて次のように記している。
 「常陸国水戸ノ人神永某ノ発明セル一種ノ厚紙ニシテ其強靭ナルコト恰モ革
ノ如シ。世俗呼テ風船紙ト曰フモノハ、 蓋シ之ヲ以テ風船ノ気嚢ヲ製スル
モ、軽気ヲ漏スコトナキノ意ナリ。此紙ヲ用テ医療用ノ氷嚢(近来東京ニテモ
亦之ヲ作ル、 氷ヲ容レテ頭部或ハ患部ヲ冷スモノナリ)、行軍ノ水嚢(兵士
戦地ニ赴ク際水ヲ盛テ飲水ニ供ス)、医療切断用バンド (原品ゴム製ナ
リ)、大砲ノ薬袋(原品ハ木綿ヲ以テ製ス、然レドモ木綿ニテハ或ハ炮門中ニ
火ヲ残ス恐レアリ、紙ナレハ 必ス此患ナシ)及ビ紙枕、坐氈、蒲団、遊球等
ヲ製スルニ適シ、強靭ニシテ永ク保存スト云フ。」
 風船紙は、このようにいろいろの用途があり、いまの合成皮革製品に先行す
るものといえるが、同じような加工紙とし て信濃国伊那郡鼎村(現在は鼎
町)産の 万力紙、相模国三浦郡横須賀村(現在の横須賀市)産の 強澣紙(き
ょうかんし)があっ た。『明治十年内国勧業博覧会出品解説』によると、万力
紙の製法は次のようになっている。
 「蛋白質(卵の白身)、こんにゃく糊、硫礬チンキの三種を混和して生 晒
紙に引き、乾くとまた混和液を引くことを 一六回くりかえす。そのあと石 灰
汁で一時間三○分煮てさらに白湯で一時間煮てから、清水で漂白し、板に張っ
て乾 かす。」
 このように万力紙は、こんにゃく糊などで強化しているが、強澣紙はさらに
型紙を用いて文様を染めたものである。
 このように産業用素材として、手漉き和紙は多方面に活用されていたが、よ
り安くより多くつくることを追い求める この分野では、品質を重視する和紙
が生き残ることはむずかしい。製薬業をはじめ数多くの部門で、和紙は合理性
を追求す る企業家に見捨てられ、販路を絶たれている。和紙のもつすぐれた
特質を真に理解する企業家や研究者だけが、これを活用 できるのであるが、
質よりも量が重視される時代には、より安い素材が求められるからである。そ
れらの量産品は、おおむ ね機械のつくりだす冷たい感じのものであるが、手
づくりのあたたかさを味わうゆとりを失っているのが現代である。そし てい
ま手漉き和紙そのものが高級品となり、その加工品はさらに高価なものと感じ
られるようになっている。産業用素材と して手漉き和紙がよみがえること
は、きわめてきびしい環境であるが、量よりも質を重んじ、心のこもった工芸
品をめざす 人たちによって、和紙のすばらしさを生かし活用する地道な試み
が、いま静かにひろまっている。
http://www.taniguchi.co.jp/honsya/inpaku/genkou/dento14-5.htm
■雪国の名品 小千谷縮
 天然の苧麻から紡いだ細糸だけを使った、雪国小千谷(新潟県)の麻織物です。
江戸時代から伝わる小千谷縮の伝統技術は国の重用無形文化財に指定されています。
 縦糸に強度の撚りをかけ丹念に織り上げ、入念に”湯もみ”をすることによ
って独特のしぼを生じさせた小千谷縮が完成します。
 何百年も変わらぬ風合いを持ちつづけたそのサラっとした肌触りと清涼感
は、夏の着物としてはもちろんのこと、シャツ、ブラウスなどの洋服や、寝装
品としても多くの方にご愛用いただいています。
 現在一般に出回っている小千谷縮は、伝統の技法に基づく質の高い麻縮であ
るとともに、苧麻(ちょま)※の紡績糸を用いること、力織機(りきしょく
き)での製織などにより価格的に抑えられている点も大きな魅力です。
 苧麻・・・手積み糸の生産量は大変に少ないため、一般の麻織物のほとんど
は苧麻の紡績糸で織られています。原料を輸入し、量産される糸で、しかも撚
りかけや染色作業がしやすい糸であるために、反物価格はかなり抑えられてい
るようです。
■小千谷縮の歴史
 小千谷縮の歴史は古く、江戸時代初期にはじまって以来千数百年の伝統があります。
寛文年間(1661〜1673)、明石の浪人であった堀次郎将俊が小千谷に来往し、
それまでの越後麻布の織法に改良を加えて完成したのが小千谷縮です。
小千谷縮で作られた衣料は、湿度の高い日本の夏でもさらりとした肌触りと清
涼感で、江戸時代では武家や公家、富裕者などの上流階級に重用されていまし
た。
 また、小千谷縮は何といっても雪の産物です。
豪雪地帯のため一年の半分を雪の中で過ごさなければいけないという自然条件
の中、農家の女性達によって育まれてました。そして、しぼのある独特の風合
いで高い評価を得、昭和30年に国の重要無形文化財に指定されました。
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製造工程
 原麻である苧麻を歯と爪先で細かく裂いて糸をつくるのを苧績み(おうみ)
といい、縮の工程は、苧紡みからはじまって、絣(かすり)つけ、染め、織
り、さらし、仕上げ等の各段階を経てつくられます。
量産化のため材料は紡績糸に、いざり機(ばた)は高機’(たかはたき)に、
手くびりは刷りこみに、草木染は化学染料にかわって来ました。
しかし指定対象の技術は、今もなお苧績み、手くびり、いざり機、雪さらし等
の古法をよく伝えています。
≪主な製造工程≫
苧麻の紡績糸を精錬、先染(糸染)

こんにゃく糊を用い、一本糊加工を2回くり返した後糊を固着

縦糸(たていと)巻き

整経(せいけい)

経巻き(たてまき)

機上げ(はたあげ)
        ・綜絖通し(そうこう)
        ・筬通し(おさとおし)

緯度(よこいと)の準備,撚糸(ねんし)・・・(強撚)

製織

仕上げ
    ・湯もみ 他
そして小千谷縮にかかせないのが雪さらしです。
雪さらしとは、古くから小千谷に伝わる伝統の漂白技法で、2月から3月の強
い春の日差しを浴びた雪原に織りあがった布を広げます。風合いと光沢を出す
ほか、地を白くする作用があります。
この作業は、小千谷に春を呼ぶ風物詩として現在でも受け継がれています。
http://www.salali.com/chizimi.htm
■手揉み製茶法
(三重県手揉み茶技術伝承保存会 提供)
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 ほい炉(和紙を貼った台を火で暖める)にこんにゃく糊を塗ります。
 蒸し器で茶を蒸します。
 蒸した茶をほい炉の上で捌き露をとります。
 両手を左右に動かし軽く茶を揉みます。
 体重をかけ強く茶を揉みます。
 手の中で茶をよります。
 体重をかけ茶をより伸ばします。
 ほい炉の上で乾かし出来上がり
http://www.mate.pref.mie.jp/marc/cha/temomi.htm
■こんにゃくで接着剤(こんにゃく糊)
 第二次大戦中のアメリカ本土爆撃兵器”風船爆弾”の気球部分の接着にこん
にゃく糊が使われましたが、こんにゃく糊について更に詳しく京都府S様から
教えて頂きました。
「こんにゃく糊の製造法」
・和漢三才図会 紙衣より
『蒟蒻根を用いて洗浄煮熟し、稈(しべ)芯を刺し易く徹るを度と為して 冷
し定む。皮を剥き去り之れを擂りて糊と成し』
・寺島良安著 島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳訳 『東洋文庫462 和漢三才図会5』
平凡社 1986年
・工農業事見聞録 染房之部より
『蒟蒻玉の糊拵様の事。蒟蒻玉を能烹て皮を削り去り、擂鉢に入能すり、 粒
なき様に急に擂立、右コンニヤクの煮たる汁サメン内二、少宛擂鉢へ 入て能
々擂事なり。少宛ノバシて粒二なき様二好き糊に仕立べし』
・清水隆之著 『日本農業全集48 特産4 工農業事見聞録 巻1〜巻4』
社団法人 農山漁村文化協会 1998年
・『工農業事見聞録』を主体として総合すると、江戸期のこんにゃく糊は
1. こんにゃく芋をよく洗う。
2. こんにゃく芋を丸のまま、芯にすっと串が(串は勝手な推測です)通るくらいま
   でよく煮る。
3. 熱いうちに皮を剥く。(このとき『和漢』によると冷ましてからだが…?)
4. すり鉢に入れてよくすり、粒のないように激しくすりたてる。
5. 芋を煮たときの汁が冷めないうちに、すり鉢に少しずつ入れて、尚よくする。
この作業によって糊を粒のないように少しづつのばしていく。 という感じで
作られていたようです。
・現在のこんにゃく糊は
『こんにゃく糊は、こんにゃくの球茎を乾燥して粉末にしたものを水で溶いた
ものである。夏は水、冬は微温湯でかき混ぜながら溶かす』
以下は『和紙の手帳2』より抜粋。
『冷水10リットルに、こんにゃく粉、50から60グラムを、ままこになら
ぬよう攪拌しながら添加する。5から10分ごとに攪拌を続けると、こんにゃ
くの粒子が完全に溶解して透明な糊になる』とのことです。
全国手すき和紙連合会 『和紙の手帳2』 (株)わがみ堂 1998年
・現代においてはこんにゃく芋そのものではなく、こんにゃく粉をつかって
糊を作ります。
製茶の工程や建築塗料としてもつかわれているようです。
http://www.konnyaku.com/info_konjac/kon47.html
■冨樫@愛知県です。
>富樫さんのお話ですと3%程度に薄められているということですね。
>私は5%ぐらいです。
3%程度というのはコンニャク屋さんの教えてくれた接着力の強い濃さです。
私はもっと薄めて数回塗り重ねて強製紙にします。
小さじ1杯で約2リットルです。
くどいですが、ツブツブが残らなくなるまでには1時間以上攪拌し続けます。
接着剤としてコンニャク糊を使ったことはありません。
2年前に作った強製紙の紙子ですが、
紙で包み箱に入れ、さらに茶紙で梱包して保管していたの出してみました。
カビやシミは一切ありませんでした。
コンニャク糊は澱粉糊ではないのでカビなかったんでしょうかね?・ (株)オオカワ 
     〒638-0031奈良県吉野郡下市町栃本1-1
      TEL 0747-52-7555 FAX 0747-52-7554
      E-mail info@ohkawa-net.co.jp
      http://www.ohkawa-net.co.jp
・名  称 共栄蒟蒻株式会社 (きょうえいこんにゃくかぶしきがいしゃ)
創  立 明治19年9月
資 本 金 2,100万円
代 表 者 代表取締役 才木正光
事業内容 食品製造卸業
所 在 地 〒658-0046 神戸市東灘区御影本町1-4-20
電話:078-851-2477(代)FAX:078-821-0567
・有限会社 かぶら食品
群馬県富岡市南蛇井1482
電話 0274-67-2661 E-MAIL:koji@mail.wind.co.jp
・茂木食品工業 株式会社
昭和35年9月茂木こんにゃく店として下仁田町青倉に、こんにゃくの製造卸
販売を始める。
昭和61年7月に国道254号線下仁田町東野牧 229に下仁田こんにゃく
観光センターを設立
本 社 群馬県甘楽郡下仁田町青倉335番地
会社所在地 群馬県甘楽郡下仁田町東野牧229−1
--
大変長くなりました。
丸谷博男 hiroo maruya
(株)エーアンドエーセントラル/NPO梅ヶ丘アートセンターフェローシップ代表
東京都世田谷区代田3-48-5tel03-5450-0180fax03-5450-0315
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